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西成出身京大生。考えたことを共有するため、意見交換の下準備、知らない人に話しかけてもらうためのセルフメディアです。

述語の人、間の人

 僕が大学でしたいことは何か。そう聞かれれたら、芸術、ビジネスの視点を持って学問をしたい。東洋、アラブの視点を持って、西欧が中心になって進めてきた、学問という領域に踏み入っていきたい。社会的弱者の存在、世界の悲惨な有様を念頭に置いた上で、健康かつ平和な環境にいるが故にできるこのブルジョワジーな学問という営為に励みたい。自然破壊や殺人への手助けも少なからず行ってきた、この学問というものにのめり込みたい。一言でまとめると、「そうでない人・こと」を常に意識した上で学問をしたい。そして、それらの「そうである人」と「そうでない人」の間で、懸け橋になるような人でありたいと思うし、そのための学問を創始したいと思う。
 脳のヘブ則によるものであると考えられるが、人間の営為と活動領域というものは、それぞれが孤島として、他の島と共存しにくい性格にある。故に、国家という現状で最も力を持った支配者に各々がうまいように利用され、学者は殺戮兵器を生むための数式を生み出す。起業家は経済を動かすことを良しとして、差異を利用して社会のエントロピーを増大させる。芸術家はますますブルジョワジーな知的営為と走っていく。それらは結果として、当事者たちの社会的進歩は生みだすが、「そうでない人」たちはますます虐げられていく。各々の領域の人たちが、人類という規模で物事を考え、すべての人々が同じフィールドに立っていること、つまり人類の文化的営為の主体であることに責任と誇りを持って、調和を生み出していくような世界であってほしい。僕個人としては、そのような思想といったものを自分の中で固め、哲学的にまとめあげる、フーコーのような思想家であるとともに、ガンディーのような活動者でもありたい。
 しかし、現在僕が考え、これから先も考えていかねばならないことは、文明批判的な考えを主軸に生きていくのか、俺とも自己満足のために生き、「楽しんで」いくのか、といことである。人類の愚かな行為は今後も繰り返され、天変地異が起こらない限り繰り返されるのであり、また、NPOなどでは部分的、さらに一時的なその場しのぎにしかならないのであると考え、割り切ってしまうならば、僕は即座に自己満足を追求して、芸術・ビジネス・学術の領域をつなぐ、伊藤譲一のようなことをしたい。だが、それで良いのか、と。これについては、常に考えていかねばならない・考えていきたいところだし、割り切ってしまうような思考の放棄はしたくない。これらのことを含め、結局のところ、総人で何がしたいかと聞かれて、レポート提出のための答えを一つ作るのだとしたらそれは一つしかいない。それは「考えること」だ。