西成出身京大生。考えたことを共有するため、意見交換の下準備、知らない人に話しかけてもらうためのセルフメディアです。

上村治也略歴(2017年3月まで)

生まれは西成。小中高と地元の公立に通う。
小学校ーーサッカー少年。将来の夢は公務員であった。卒業文集的な将来の夢の欄に「順風満帆な人生」と書いて、家族で手をつないで上から札束が降ってくる絵を描いていた。
中学生ーー陸上で中長距離。三年からはサボリ倒して賭け麻雀。一年の時から遊戯王ポケモン、大富豪などのテーブルゲームが中心。基本的に金が絡んでた。基本マイナス思考、愚痴だらけ。遊戯王では一度日本橋で優勝。他にも、小学校の時に隠れて育んだ卑屈さゆえにここでは言えないような数多くの悪事を働いた。いわば最も人間的に純粋であったとも言える時期であった。勉強としては安定した勝ち組ルート目指して真面目に勉強。天王寺高校に合格。
高校生ーー柔道部に入り2年で体重20kg増。主将を務め、2年次には強化選手選考会最終22人まで残ったのがピーク。学生生活については、1年生の時に素晴らしい友に出会って完全なるプラス思考と明るい性格が固められる。一年間は青春のすべてをやり尽くしたと思っている。2年生の時に惰性で人付き合いを続け、負の方向の性格が徐々に取り戻されてくる。ここで人生の転換期その1。冬に夏目漱石の「こころ」を読み、他者の目を気にする自分に気づき、自分について考える人生が始まる。このまでは「世界に行きたい」とだけ思い、商社マンになろうといういわゆる勝ち組ビジネスマンになろうとしていたが、ここから「世界を変えたい」にいつの間にか目的がすり替わっていく。ゆえに将来の夢は「起業家」。同時に他者との比較に基づいた思考傾向が顕著になり始める。これは中学まで育んだ卑屈さゆえに生じるものだ。まず、海外進学を志し、一人で台湾、マレーシア、シンガポールまでバックパック。その後高校やめて世界1周しようとしたり、早稲田進学考えたり、高校生団体立ち上げたり、タイにバックパックしたり、やっぱりシンガポール大学に行きたくなったり、いろんな経験を通して人生について考えていった。ここまでで8月。夢は起業家。ビジネス書や自己啓発本を読みまくっているからゴリゴリのオラオラの楽観主義。ここで人生の転換期その2。ニューロンの電位変化の仕組みを始めてみて劇的に感動。自然の摂理および科学の素晴らしさに目覚める。それまでは理系という選択肢すらなかったのだ。ここで、学問的にビジネスすることが世界を変える方法だと思い、京大総人を志す。しかし、実家の家計状況の問題を顧慮して起業することを思い立って、その区切りとして山に瞑想修行にいく。そこから理論と身体性、自然と慈愛の精神の道を歩むことになる。帰ってきた後、やはり学問がしたいのと、家族を安心させるために京大総人を目指し始める。ここで12月初め。ちなみにここまでの人生における選択はすべて他者(それはスーパー高校生とかザッカーバーグとか、とても”有名”な人たち)との終わることない比較に基づいたもので、その卑屈さ、傲慢さ、嫉妬を原動力にしてこれだけ半端ない量の行動をしてきた。アドレナリン全開である。もちろんここに書いていない時期、日にはバリバリ勉強しているわけである。話を戻して、この12月初めから2月までは学校に行かず家でずっと一人でこもって本を読んで勉強していた(詳しくは他の記事を参考に)。ここで人生の転換期その3。一人でずっといる間に自分と対話し続け、自己の認知・心理を観察しつづけつつ、認知心理学や偉人の自伝とか100冊くらいを読みあさっていると、過去の瞑想の経験と相まって何かが変わった。ここで、卑屈さを浄化し、相対的である事をやめて、愛と自然に生きるようになった。自らに嘘をつくことをやめた分、幼い頃に父母に育んでもらった自然好きであたたかい気持ちを取り戻すとともに、人間としての苦しみやしんみりした気分を感じることを受け入れるようになった。子供の貧困講義の時からペシミスト。資本主義がよろしくないと思うように。その後京大合格して、今は京大の近くのベンチャーで働きながら京大の図書館で勉強、そして僕の求めてたようなぶっ飛んでる学友たちを見出した所だ。ちなみに三月には芸術に目覚めた。イサムノグチがすごい。
これからーー家庭の状況を考え、お金を稼ぎつつも、好きなように学問をしていきたい。大学では諸学問の統合の方向で、学友をつないだり理論上で繋げたりしたい。だが、ひとつ自分の主軸として確立すべきであると考え、物理をやる。死を意識して人生の時間を過ごすという生き急ぐようなスタンスは変わっていない。人生や人について考える事も多々あるが、全て受け入れた上で暫定的に考えを置いておいた上で、放棄せず、後に考え抜いていく姿勢でいきたい。よく言えば曖昧さを意識的に使いこなした思考様式を貫いていきたい。将来どうなるかは曖昧なイメージで止めているが、自分の絶対性に生きたい。あと、自然と共に生きたい。