西成出身京大生。考えたことを共有するため、意見交換の下準備、知らない人に話しかけてもらうためのセルフメディアです。

量子思考 (構想)

人間の脳というのは物事を一つにまとめたがる傾向がある。故に世間では皆がそれぞれ異なる考えを持ち、多くの場合それを崩そうとしない。リバタリアンでさえ、リバタリアン的思考様式を持ち、それを崩そうとしない。権力に植え付けられたものであれなんであれ、人間誰しも自分の考えというものを持っている。そしてその考えを著書なり会話なりでアウトプットすると、異なる考えを持った人に伝わり、そこから異質な意見がまたアウトプットされ、その考えが異なるものであるならば反発が生まれる。そうして人類は争いを生んできた。
 ここでは、考えの正当性であったり、どのようにして人の思考が形成されたのかなど、厳密なことについて論じるつもりはない(今後哲学的言語を身につけていく中で厳密に定義し直していきたい)。むしろ、思考というものを人がどういった形式で保持し、それが表出されるのかという、一連のプロセスに論点を置き、そのプロセスを「量子思考」と暫定的に定義し、それを元に人類の争いを和らげる思考様式を提案するという目的のもとで書いていきたい。以下はその要約文とする。
 量子思考の要点は次のようなものだ。つまり、個人が幾多もの可能でありうる「思想」を持ち、その中から脳という装置を通して確率が高い=神経回路上の効率が良いものが一つに選択され、それを言語を媒介にその人の「考え」として表出されるというものだ。( 「」で囲っている単語は今後厳密に定義していきたい。)
 私の場合、オプティミスティックであると同時にペシミズムだ。もちろん私が今打ち込んでいるものはパソコンであると同時にパソコンでない何か違うものであるという可能性を含んでいる。太陽は熱いし、冷たい。そういった、”1984”(ジョーオーウェル)でいう「二重思考」を拡張して、量子の振る舞いのように数多もの思想を同時に可能性として持っており、それを一つだけアウトプットしているとする。そしてその「事実」を意識し、可能であるすべての考えに気を配り、意識的に使い分けてアウトプットすること。それによって人類の衝突、個人間の不和が減らせる。そういう倫理的な効用を得ることを目的とした、思考法の提言をしたいのだ。明確な目標ではないが、この思考法を哲学的に確立させ、倫理面をバックアップできるようにすることで、知識階級の哲学に選択肢として量子思考が入ることを狙っている。人類の一辺倒な思考様式に、柔軟な思考を合理的に理解し受け入れるための哲学を持ち込みたい。知識階級=金銭的、権力的に力を持った人たちが柔軟で曖昧な考えができれば、人類を良い方向へ導けると思っている。