西成出身京大生。考えたことを共有するため、意見交換の下準備、知らない人に話しかけてもらうためのセルフメディアです。

「変化する」というアイデンティティ

 
私のアイデンティティは「変わる」ことだ。経験を通して、読書を通して、そして過去の時間を生きることによって性格及び思想、それに伴う言動が、私の場合は頻繁に変わる。これまでの私と接してきた人にはお分かりだと思う。そして最近その変化というものが私のアイデンティティだと「決めた」。
 そしてここでもう一つ分かっておいていただきたいのが、私の「決めた」というのは「暫定的に決めておいた」ことを意味する。これは、デカルトの『方法序説』を参考にした考えだ。デカルトはスコラ哲学をベースとした哲学の再構成に挑む際に卓越した比喩を用いている。引用はしないが大体は次のようなことである。「ある住居を建てるにあたって、それが出来上がるまでに住む住居が必要である。」注意していただきたいのは、私は自分の考えに論理付けをすることが得意であるのと、饒舌であることから、これまで数々の人に自分のビジョンを納得させてきた(その必要があったからこそこの能力はついたのであるが)。しかし、今思えばそれは暫定的なものであった。その曖昧さとも取れる変化によって迷惑をかけた人もいるので、ここで謝っておきたい。
 これに関してもう一つ書いておきたいのが、私にとって過去の自分は自分ではない。先ほど書いた通り、私の考えは常に変化している。さらに、体を構成する粒子もこの一瞬にも入れ替わっていることを考えると、過去の自分が別人のように感じられるのだ。だが、私の過去の考え・行いを批判されるときには、私自身が批判されていることに変わりはないし、自分でもそう感じる。つまるところ、他者・世界との関係性の上に思い出であったり行動というのは成り立つのだから、個人的思索などは日々変化しているという点で過去の別物であるが、友との思い出、過去に働いた悪事などは私の命が尽きてもなお、人々の精神世界の中に残り続けるのだ。その場合、私がこうして書いていることも世界との関わりを持った以上残り続けるのであるが、あくまでは4月2日の現時点の私の内的思索と世界の接点に過ぎないのであって、今度会う私が同じ考えを持っているわけではないということだけ留意していただきたい。
 また、私は自らの変化を受容するだけでなく、周囲の環境の変化、思想上の進展が心地良く感じるので、自ら変化を求めて行動している。それは周囲から見てわかる行動ではないことが多いが、読む本のジャンルや生活様式、思考様式を一日単位、一時間単位で変えたりしている。
 最後に、私は基本的に自分の中で練り直して、整理・淘汰していく中で考えを変化させている。よって、「コロコロ変わる」という表現は適さず、「継続的に変化していっている(have been changing)である。
 ここまで書いてきて結局何が言いたいかというと、言っていることがよく変わるけれど、「こういう風に変化してるんだー!」、と外から見て”楽しんで”理解していただき、見守っていただきたいです笑