読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
西成出身京大生。考えたことを共有するため、意見交換の下準備、知らない人に話しかけてもらうためのセルフメディアです。

京都大学合格体験記ー受験勉強など京大は求めていないー

 僕は日本の教育制度、というよりは競争と比較ありきの受験というものをよろしく思わず、それに反抗するべくいわゆる”受験勉強”というものをできる限りせずに京大に合格して、「受験勉強とは集団が生み出した流れに過ぎず、実際に大学側はそのような受験勉強は求めていない」という説を自ら体現してやろうと好きなように勉強して京大に合格しました。そこで、この考え方を受験の中ですり減る若者たちのためにも共有しておこうと思い、ここに記すことにしました。
 まず前提としてもらいたいのは、最良の勉強法とは、「自分にあった勉強法を模索しながら改善し続ける」勉強法だということです。ですから、ここでは僕の行った勉強法を時系列で具体例としてあげつつ、「どのようにその勉強法を確立していったか」「それは自分の思考のどのような傾向を元にしているか」という、いわば「勉強法確立のためのコンパス」として書いていきます。少しでも受験生が不毛な学びから抜け出すことの手助けになればと思います。
 
具体例1 137冊の本を読むーー該当科目:国語、英語、数学
 これが僕の勉強法の核をなすものです。僕の基本スタンスとして、人生という長いスパンで見て価値のあることだけをしたい、というものがあるので、受験の枠にとらわれない、でも受験に確実につながる学びは何か、と考えたら読書になります。「国語の記述や英語の和訳なんてものは、どれだけ日本語の文章のストックが自分の中にあるかでほとんど決まる」と認知学の本から学びとった後の判断ですが、これは実験的な勉強法の中の一つであり、最もしっくりきたものです。大事なのはこの「実験的に自分にあった、もしくは受ける大学に適した学習法を身につけること」です。
 九月ごろ:その頃は京大受験まで半年しかない!という思いから、学習を効率化せねばと思い、学習法についての本を読もうと思い認知学の本に手を出しました。そこから派生して脳科学の本も読み、計10冊くらい読みました(他の時期を合わせると計30冊くらい)。これが功を奏して僕は受験というゲームを制したと思っています。「数学を学ぶことで認知のどういう力がどういう風に形成されるのか」「そのための最も効率良い学習法は何か」というようなことを知らずにただ課題をこなすだけでは知能を伸ばすのには効率が悪いということだけは理解してください。そして、自分で脳・認知学の本を読んでみて、自分の認知についての知識を持って初めて、メタ認知(自分を客観的に見る力)による学びの楽しさ、効率が増すのです。具体的なことはまた違う機会に書こうと思います。
 10月頃:この頃は数学の勉強と並行して、歴史の本や評論の文を読んで、読解力を身につけていました。(10冊くらい)
 12月初旬〜受験2週間前:この期間は一日中本しか読まない日がほとんどでした。この期間でちょうど98冊の本を読みました。ジャンルは主に自然科学系、特にわかりやすいポピュラーサイエンスの本(海外の本の邦訳はハズレがない。)を中心に読み、その他は僕の個人的な研究(後々書いていく予定)のための読書をしていました。小説はSF小説を研究の一環で読んだくらいで、基本的には硬い文章です。
 結果:僕の最も苦手な科目は現代文でしたが、京大の記述を前にスラスラと自分の表現が出てくるようになりました。また、幅広い分野の教養を身につけることができた。受験テクニックを身につけても、後の人生にはあまり役に立ちません。(理系の人は、ポピュラーサイエンスを読むことで大学の科学と高校科学との接続が見えるので、科学科目の見通しも良くなり一石二鳥です。)
 
具体例2 大学の勉強をするーー該当科目:全科目
 僕は文系受験ですが、数IIIと、高校範囲の理科3科目は好奇心から全て学びました。その後、物理と数学は大学の範囲も少しかじりました。これらは、人生のスパンで見て有益な学習であるだけでなく、文系であっても、概念のレベルで読解力として現れてきたり、数1A2Bでの見通しが良くなったりと、諸学問間のつながりとして現れてきます。
 この勉強法は1で見た認知学の勉強をしてからでないと、高校範囲と大学範囲のつなげ方がイマイチわかりづらくなるので、少し難易度は上がります。これは数学と科学が特にわかりやすいのです。例えば、高校の物理や数学なんてものは100年以上前の古典の一部に過ぎず、単発的で、人によってはおもしく感じれないことも多々あるように思われます。それを、少し大学の流体力学脳科学まで広げて勉強すると、「こんな風に複素数平面を使うのか!」「脳科学で見た多次元ベクトルの概念でこの青チャートの問題一瞬で解けるやん!」といった風に、学びの見通しが良くなったり、新たな視点で問題に取り組めたりします。そして何より、受験テクニックなんかではなく、その後に活きる知識を身につけられます。これは受験勉強という強迫観念のもとでは浮かんでこない勉強法ですが、それに嫌気がさしている、向上心ある高校生には是非試してもらいたいと思います。
 
具体例3 500字の英文を読み漁るーー該当科目:英語
 僕が受験勉強を始めたのはちょうど8月3日でした。その頃は海外進学を考えていたので英語の勉強だけをしていました。具体的な勉強法としては、『文で覚える英単語』の準一級と一級の英文を、1文あたり3〜4分で読み、読み終わってから単語の意味を確かめることを2分以内に終わらせます。こうして、一つの文(400〜600字)あたりに約5分ほどかけます。 読んでいく過程で知らない単語が出てきても、一瞬で、かつ機械的に印をつけてそのまま読み進めます。この勉強法の目的は、英文を読むスピードを自分で計り、スピードをどんどん短縮していくことにより、日本語を介さずに英語を理解できる力を身につけることです。 ここで大事なポイントが二つあります。一つは、時間をしっかり計ることで惰性をなくし、さらに読む速さの増加を実感として得ることです。二つ目は、この約5分のサイクルを続けて4〜5回で1セット、など自分で決めて、できる限り短期間(一週間くらい、各自による)で詰め込んで文を読むことです。短期間に詰め込むことよって、ニューロン回路が適応して(いわゆる慣れ)、「日本語を介さずに英語を理解できる」という感覚が程度は異なるものの掴めると思います。一度その感覚を持ってしまえば、その後英文を読むのを怠ってニューロン回路が弱まる(=読書スピードが落ちる)ことはあっても、理解の感覚自体は一生残るのではないかと思います。(実際僕は、二週間ほど英語漬けの生活を送った後は英文を読む機会はまばらになりましたが、今でもこの感覚は残っています。)
 この速読法自体は、高校教育カリキュラムの研究などを見ていても理にかなっているので、普遍的に全高校生に当てはまると思います。少なくとも、シス単で記号として英語を扱うのだけはやめましょう。認知学的に非効率です。僕もポケモンの名前は450匹くらい全て覚えていましたし、モンハンの操作もすぐ覚えましたが、どうしても文脈のない単語帳などでは単語は覚えられませんでしたし、高2までは暗記力の不足に苦しめられていました。
 
おまけ 瞑想修行に行くーー該当科目:全科目
 これは参考程度に読んでください笑 
 僕は色々あって(また今度書くかも)11月8日〜19日の間、京都の山奥にこもって瞑想修行しに行きました。瞑想というのは、体験する人によって、また捉え方によって得られるものから全てことなってくるものですが、僕の場合は、脳・認知学の観点からも捉えてみたのですが、「悟り=メタ認知」とも言うことができるのです(詳しくは後日)。それも、瞑想で得られるメタ認知は半端なく深いものです。それによって、僕は勉強するときには、自分の精神状況から思考パターン、バイアスなどを「意識」して、意図的に思考パターンを変容させていきました。
 
最も大事なこと
 ここまで挙げてきた勉強法は、悪しき伝統ゆえに(そして利潤目的の大手塾戦略ゆえに)日本の大学に進学したくても受験戦争とやらに参加せざるをえず、知力と精神をそぎ落とされていくであろう好奇心に満ちた高校生たちを対象にしています。前にまとめた教育に関するページにも書いていますが、「好奇心を持って、能動的に学ぶこと」が学びのあるべき姿でもあり、認知学的に最も効率の良いものです。この精神をもとに僕はこれらの勉強法を実践してきたので、楽しくて楽しくてたまりませんでした!もう一度言いますがポケモンです。ポケモンをやる感覚で勉強するのが最も効率がいいのです。
 どうしても人間というのは周りの環境に飲まれてしまうものであるので、自分にあった勉強法を見出していく過程でも、同級生が必死に受験勉強をやっているのを見ると不安になって結局不毛な受験勉強をしなければならなくなります。それだけは僕も責任が取れないので強制できませんが、一つの価値観として参考にしてもらいたいのですが、受験勉強をすることで「合わせに行く、典型的な日本人群」とひとくくりにできるようなニューロン回路を高校三年間で固定化していくというのは僕には耐えられませんでした。一度ニューロン回路が若い時に固定されてしまうと、人生の間ずっとそのニューロン回路にある程度規定されて、考え、行動し、生きていくわけです。何も考えずに受験勉強をしていると、単語を暗記するニューロン回路は強化されますが、単語を調べるのならコンピューターの方が優れているし、ググればいい。数学のパターン暗記をしていても、受験は制することはできますが、人類が知っていることなんて知らないことに比べると無に等しい。その人間の少ない知識の中のさらにけし粒ほどの数学の解法を覚えたところでキリがない。
 僕が提示しているのは僕のような勉強法をすることではありません。高校の教育カリキュラムに従って勉強を学校でやりながらでもいいのです。大事なことは、「その学びを何のためにやるのか、どのように知的に賢くなれるか」ということを個人個人が意識して、自分の人生というスパンで置き換えて今何をすべきか、したいのかを考えた上で、自分なりの学習法を編み出していくことです。
 締めくくりとして、MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんの言葉を引用すると、「今の時代に必要なのは地図ではなく、コンパスだ。」僕がここで示してきたのは僕がたどってきた地図と、それを作り上げていく過程で使ったコンパスです。皆さんにはそれぞれの生き方、価値観があると思います。それぞれが自分にとってのコンパスを見出し、後で振り返ってみて満足できるような道を辿って行ってください。この記事がそのための助けになれば幸いです。
 
3月12日 上村治也