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高校生から見た高校教育ー卒業論文に変えてー

 僕は現在、大阪の公立高校三年生だ。もうすぐ京都大学の受験が控えているが、卒業論文代わりに、内から客観的に見た現在の教育課程の誤謬と、独立して考える力を養う理想の教育像というものについて、この一年間考えてきたことをまとめることにした。僕は、高二の冬くらいから人々を囲う枠のようなものの存在に目が向くようになり、それから高校三年の8月まではまともに勉強もせず台湾、シンガポール、マレーシア、タイとバックパックしてCouchSurfingを通して色んな経験をしたり、講演会で色んな人の話を聞いたり、ヒッチハイク、高校生とスポンサー企業のプラットフォーム設立(早めに失敗したが)などで自分のバイアスを取り除いていき、自分で考える力を養っていった。海外進学をしようと8月頃に急に思い立ち、一ヶ月間でSAT,SATsubjectの対策勉強をしたが、その時に自分の独学力、つまり自分にあった勉強法を矯正していきつつ見出していくという力を身につけた、いや身に付けざるを得なかった。現在の教育課程では教授型に偏った授業で、さらに塾に通う生徒が多く、生徒たちは与えられた課題をこなすだけになってしまっている。本来なら高校というのは大学という独学の場、それに人生でずっと行われる”考えて、学ぶ”という能力を身につける場であるべきはずだ。しかしそれが現在の教育法、先生たちの姿勢ではその独学力というものはまるで身につきそうもない。教育がどうだ、日本は終わってる、だの、他に考える事がないのかと言いたくなるような発言をする人たちが昨今多く見られるが、彼らが高校教育を受けたのはかなり前であろうし、時代によって教育がどうあるべきかといのは変わるので、彼らはその当時としては世界的に見ても良い教育を受けることができた幸せな人たちであろう。また、彼らの考えはあくまで外から見た考えであり、さらにはそういう人たちの多くは他人の発言を繰り返しているにすぎないことがほとんどだ。文科省の人たちも何層ものバイアスによって、さらに見えない力によって考えが歪曲してしまっていることは否めない。だからこそ、この荒んだ教育を中から客観的な分析が少なからず今の社会に必要とされているように感じたのでここにまとめることにした。ただ見た事実を書くのではなんの参考にもならないだろうが、僕は一年間自己教育に励むことも同時にしてきたので、脳・認知科学については教養課程レベルの知識は身につけている。また、独学で社会全科目、生物・化学・物理、並びに大学一年の範囲も浅く広く納めているため、個々の科目についての教育、並びに大学の内容とのギャップと接続法についても、モチベーションやメタ認知といった観点から書こうと考えている。なお、ここで言及する高校教育とは、僕が三年間受けた教育が日本の公立高校全般に大まかには似通ったものであるとした上での一般的な意味での高校教育として書いていく。また、これまで読んだ様々な本の記憶に基づいて分析しているため、参考文献などの提示はできそうにない。現在は煩雑で読みにくい文章となるだろうが、少しでも日本の教育、社会に貢献できればと思う。
(著:2017年1月14日)