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自考・ニューロン・じゃぱにーず

はじめに…
 自分の頭の中で考える行為を私は「自考」と呼んでいる。これは至極当たり前なことを言っているように聞こえるだろうが、ここでは私は高度かつ意図的な思考に限って言及している。つまり、「今日の晩御飯は何にしようか」と考えることではなく、微積分を用いて放物線と直線に囲まれた図形の面積を求める行為でもない。私が指すのは、メタ認知的に頭の中の思考回路を働かせて特定の物事について考える行為である。実はこれは簡単なことに思えて、できている人は少ないのではないかと思う。私が自考力を身につけたのもつい最近のことであり、おそらくメタ認知(自己を客観的に見る能力)という概念を知り、意識というものの存在を改めて捉え直すことができたからである。自己の思考に不意にピントが合ってしまったような感覚だ。
 ノートに考えを次々と書き出す、ブレインストーミングはここでは自考とは呼ばない。自考の最大の特徴は自転車に乗りながらでもできるところにある。つまり、何もない状況下で脳内で思考をこねくり回すことを私は定義している。
 人間は人生の三分の一を睡眠という無意識状態下で過ごす。さらには入浴時や移動時間にも、何も考えていないことが多い。我々は「慣れ」という人間の高度な性質によって、何も考えずとも歩行することができ、毎日のルーティーンも無意識下で行っている。これらの無意識状態を加算していくと、人は人生の半分以上を無意識下で過ごすことになり得るのだ。こう考えると背筋がぞっとする。大きな脳を持ち、考えることによって進化し、他の生物との差異を生み出してきた我々人間は、”実はあんまり考えていないのだ”。人間は考えることによって人間であり得る。つまり、考えるという行為が少なくなるほど、猿との差は縮まるといえよう。最近では、ゴリラのココちゃんが2,000もの単語を用いて手話で人間と会話するという事例も知られている。ゴリラも考え、会話する能力を持っているのだ。
 こういうと、考えるという行為においては、そこにかける時間よりも考える内容、質が大事だ、という反論が出てきそうだ。ゴリラに相対性理論がわかるのものか、と。確かに最も大事なのはその質であるが、相対性理論を導き出すためにはやはりかなりの時間考える必要があったはずだ。これは脳の仕組みから説明が可能だ。
 脳というのは非常に複雑で、様々な部位が相互に作用しあって機能する、我々の知る中で最も高度な情報装置だ。その基本単位であるニューロンという神経細胞は相互に繋がったり、燃え上がったりする。それぞれのニューロンの燃え方には一定の”重み”があり、ニューロン同士の繋がった回路のうち、どの回路のニューロンが燃えるかによって重みのパターンができる。そうしてできる様々なパターンによって手を挙げる、メネラウスの定理を使う、などの特定の行為や思考をするための指示が脳から出されるのだ。さらに、この指示するために刺激が通った回路のニューロン間の繋がりは毎回強化される。ニューロン間をつなぐ管が太くなって、刺激が通りやすくなるのをイメージしてもらうと分かりやすいだろう。また、新たな行動や思考をする時にはニューロン間の新しい繋がりができる。人間の脳内では一秒あたりにいくつもの使われないニューロン間の繋がりが失われており、同時に常にニューロン同士は新しく繋がっていくわけだ。このようにして脳は新たな思考や行動を学習し、使わない機能はどんどん排除していくのだ。現在ではこのニューロン間のやり取りと重みのパターンをプログラム上で再現することで人工知能機械学習などが可能になっている。
 話を戻そう。この脳の仕組みを考えてもらうと、考えれば考えるだけ、その思考を可能にするニューロン同士は繋がって、結びつきも強固になっていくことがわかる。反対に、考えなければその思考のための特定の回路は生まれない。アインシュタインも、考え続けることでニューロンを繋げていったからこそ相対性理論を導き出すことができたのであり、そこまでに至る神経の道を繋げ、広げていったのである。ニュートンが、りんごが落下するのを見たときに重力という概念を閃いたのも、その考えに至るニューロン間の繋がりがすでに存在していたからであって、それまでに物理学を勉強し、さらには見えない力の存在を疑って思考を重ねていた結果に過ぎないのである。多くの人がニュートンの逸話を間に受けて、天才だから、という一言で片付けてしまうが、その裏には、考えに考え抜いた彼の努力があることを忘れてはならない。我々も、アインシュタインニュートンにはなれない(かもしれない)が、考え続けることでニューロンの繋がりは確実に増えていき、世界に何らかの形で貢献できる力を得られるはずだ。そのためには、どれだけの時間をかけて物事について考えるかが鍵となってくるのだ。その考える対象が絞られていれば、必然的にそのことに関して考える時間は増え、成功へとつながるだろう。考え続けることによってのみニューロンの回路、そして成功への道は開けるのだ。
 ここで自考に話を戻そう。もし、自考する力を持って、入浴中も通学中も、起きている間中意識的にある物事について考え続けられるとしたら、どうだろう。何でも成し遂げられそうだとは思わないか。
 一体どれほどの人が自考しているのかはわからないが、思うにそれは少数に過ぎない。自考には一定以上のメタ認知力と、面倒に思えるこの行為に価値を見出し実践しようという向上心が必要だからだ。世界の成功している研究者や起業家のみんながみんな自考しているかどうかはわからない。研究者や起業家たちは自分の好きなことに没頭するので、日常の中でも、意識せずともそのことについて考えることが多くなるだろうから、意図的な思考、つまり自考ができずとも結果的に偉大な成功を収めることができる。しかし、自考力と成功との相関関係は間違いなく強い。理由はここまで述べた通りだ。
 この自考力を身につける、もしくは自己の意識に目が向くのにはきっかけがいる。ある程度歳をとると思考がこり固まるし、幼すぎても思考力が及ばないから、思うにそのきっかけは10代のうちでのみ意味をなし、そのきっかけというのは、近親の死や圧倒的挫折などの、自己の常識を覆すような経験だ。その出来事を機にものの見え方が変わり、物事について多くのことを考えなくてはならない状況になる。そこで自分は運が悪いのだ、と言って考えることを放棄してその後の人生を送る人もいれば、自らを死に追いやる人もたくさんいる。しかし、この経験を乗り越えて自考力を身につける人も少数存在する。そういう人こそがそれから先、自考を繰り返して、常識を常識と考えないで、自分の考えを持って前進し続け、大成功を収めるのだ。何か偉業を成し遂げた人たちは多くの場合、過去に他の人には考えられないような辛い体験を持っている。それによって自考するようになり、成功を収めたケースは少なくない。孫正義も、親類の病気に加え、家計状況が破綻したことで多くのことを考えざるをえない状況になり、その後、実業家になると決め、鬼のような勉強量で成功への道を駆け上がっていった。スティーブ・ジョブズも親に捨てられ養子に出されたという経験から、自己について幼い頃から考えざるをえなかったから、多くのことについて考える時間が多かった。このことは彼の並外れた頭脳と成功に強く関わっているはずだ。失敗は成功のもと、というのはこういう意味合いも持っているのかもしれない。
 ここまで自考のすゝめを記してきたが、私はここに脳科学について書いていきたいわけではない。自考という行為を身につけた私が、自転車に乗りながら、体を洗いながら考えた様々なことを書いていこうと思うのである。その内容は基本的には思考的な面についてであり、中途半端な哲学のように見られるやもしれない。そもそもこのエッセイを書き始めたのは、考えて終わりではなく、それを現実世界に持ち込むこと、僕の場合は文字として書き起こすことを選んだのだが、に意味があるからだ。相対性理論を誰も理解でないからといって誰にも伝えないのはもったいないないだろう。(アインシュタイン相対性理論を初めて発表した当時は誰にも理解されず、ノーベル賞は別の功績によって与えられた。度を超えるとこういうことも起きてくる。)タイトルは、語呂と見た目の美しさでつけたが、どうしても日本に住んでいると日本に対する批判が増えてくるので、日本を揶揄する意味でもこのタイトルにした。坊主の戯言だと思って読んでいただきたい。